メッセージ - A年 年間

マタイ16・13-20

今日の福音箇所は「ペトロの信仰告白」という非常に有名な場面が読まれました。この場面は共観福音書と呼ばれるマタイ・マルコ・ルカの3つの福音書の中で同様に描かれています。弟子たちと共に、地方の村々に宣教活動へと出向いているイエスは、その道中で「自分は何者であるか」について弟子たちに質問します。弟子たちは、人々が語るイエスについて、いくつかの名前を挙げながら答えます。そんな中、ペトロは「あなたはメシアです」とはっきり答えます。イエスはこのペトロの発言について、否定も肯定もせず、ただ自分のことを誰にも話さないようにと注意しました。

ペトロがイエスをメシアだと考えたのは、これまで共に旅をしてきて、様々な奇跡や癒しの業を見る中で、この人こそ、かつてダビデやソロモンといった王たちが作り上げた強いイスラエルの国を再興してくれるような政治的救世主であると思ったからです。イエスがメシアである、というペトロの告白は正しいものでしたが、どのようなメシアか、という部分においては、まだ正しい理解をしていませんでした。ですからイエスは、このことを誰にも話さないようにと注意したわけです。

さて、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの問いかけは、今日の福音を通して、私たち全てのキリスト者に向けられたものでもあります。現代に生きる私たちは幸いにも、聖書を通じてイエスがどのようなメシアであるか、またどのような救いを人々に与えたのかを知ることが出来ます。その意味で、私たちは正しくイエスを「メシア」であると言える信仰を持っているわけですが、同じく大切なのは、私たちがメシアである、と信じているイエスに、どのように従っていくことが出来るのか、という点であります。

『使徒ヤコブの手紙』の2章には「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」と語られています。私たちがイエスをメシアであると理解し、イエスを心から信じていたとしても、もしイエスの教えにそぐわない生活や行い、あるいは発言をしていたならば、その信仰をイエスは認めてくれるでしょうか。このイエスの「私を何者だと言うのか」という問いかけに対し、私たち一人ひとりが、自分の信仰にも、言動にも何も後ろめたさを持つことなく、メシアであるイエスに従っているのだと堂々と言える、そんな生き方が出来るように、今日の福音の言葉をよく心に留めて、自分自身の日々の信仰生活を省みながら、これからを過ごして行きたいものであります。