聖書が教えるカテキズム - 聖書が教えるカテキズム

 


前回の講話の中で信仰宣言の弟三箇条の預言者を通して語られる聖霊について話しました。この度、ニケア・コンスタンチノポールの信条の「聖霊は父と子から出て、父と子と共に礼拝され、栄光を受け(る。)という信仰内容について話すことになります。それは、「時が満ちた」と言われるキリストの時代に聖書が語る聖霊の働きになります。即ち、聖霊が御父から降り、キリストとの一致の内に地上で救いの業を実現し、復活したキリストによって使徒たちに与えられ、御昇天後にキリストが御父のもと使徒たちに遣わされたのです。それは、聖霊降臨の出来事であり、地上の教会の誕生です。

1.神の子キリストの受肉の神秘を成し遂げる聖霊

「天使(ガブリエル)は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』 マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。』」 (ルカによる福音13035節)

以上の福音箇所は、「神のお告げ」と言います。神様から遣わされた天使ガブリエルは、聖母マリアは、神様の恵みと愛に満たされて、聖霊によって神の子を身ごもったことを伝えます。そして、この出来事は、神様が王ダビデに約束してくださったこと、また、旧約の多くの預言預言が語った言葉の成就であることを証明され、信じるために提供されています。


2.聖母マリア、エリザベト訪問の時に働かれる聖霊

「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』」

(ルカによる福音14145節)

聖霊に満たされて御子を宿したマリア様は、エリザベトが子を身ごもったことを知り、奉仕しに行きます。聖母マリアが天使の挨拶を受けて聖霊に満たされたように、エリザベトは、聖母マリアの挨拶を受けて聖霊に満たされたのです。同時に、エリザベトの胎内の子、神様の摂理の中でキリストの先駆者としてこの世に生れる将来の洗礼者ヨハネも聖霊に満たされたのです。


3.洗礼を受ける時にキリストに注がれる聖霊

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(ルカによる福音3章2122節)

洗礼者ヨハネは水で洗礼を多く人々にのに授けていました。それは、キリストに出会う準備としての悔い改めの業であり、心の清めのしるしでした。ところで、洗礼者ヨハネがキリストに洗礼の授けていた時に、聖霊の働きが目撃されました。洗礼者ヨハネは、これについて次のように証しします。「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」(ヨハネによる福音13334節)こうして聖霊は、イエス様が神の子であることを証し、天国を開いて御父のお声を聞かせて、至聖なる三位一体の啓示を致しました。

キリストは、受肉の瞬間から聖霊に満たされて、初めから神の子、キリストです。主の洗礼の時、聖霊の注ぎは、一人の人間としてイエス様の生き方を変え、救い主の使命を果たすようになるに「時が満ちた」ことを目に見える表現となりました。キリストはギリシア語で「油注がれた者」(ヘブライ語でメシア)と言います。それは、主の洗礼の時の「聖霊の注ぎ」を比喩的に指す名称であり、地上の神様の代理であることを表します。

イエス様ご自身も、故郷ナザレの会堂で、イザヤの預言(611-2)が自分の内に実現したことを証しました。「『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」(ルカ41821)と。


4.キリストによって約束された聖霊

)ニコデモへの約束した聖霊

「イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。“あなたがたは新たに生まれねばならない”とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。』」

(ヨハネによる福音358章)

キリストを訪ねたファリサイ派のニコデモ、ユダヤ人の議員は、イエス様が救い主であると信じて、これからどうすればいいかと尋ねました。以上の福音箇所がありますと、キリストの答えには、水と霊による洗礼が人を新しく生まれさせるという説明がありました。そして、人の救いは、人間の力によるのではなく、神様の神秘的な救いの計画に従がっての聖霊の思うままの働きによって実現されるものであると教えてくださいました。

2)最後の晩餐の時に約束した聖霊

「(イエスは言われた。)『あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。』」

(ヨハネによる福音1415-18節)

キリストはご受難を受ける前にご自分の弟子たちとお別れに過越祭の食事をなさったときに、御自身の代りに御父から聖霊を遣わすことを約束してくださいました。ところで、聖霊を頂く条件とは、キリストを愛し、その言葉を守ることになっています。遣わされた聖霊は、弁護者(Paracletos =「共にいる方」)であるから、死を超えて永遠に私たちと一緒にいることを約束してくださいました。これに続きキリストは、「その方は、私のものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネによる福音1615節)と仰せになって、聖霊の内にご自身現存を弟子たちに残してくださることを教えてくださいました。同じ意味で、マタイによる福音によりますと、復活したキリストは、「わたしは世の終わりまで、あなたがたと主にいる」(マタイによる福音2820b節)と仰せになったのです。

3)御復活なさったキリストが弟子たちに吹きかける聖霊

「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』と。」

(ヨハネによる福音202123節)

以上の福音箇所は、復活したキリストは御自身の息吹によって弟子たちに聖霊をお与えになったことを示します。聖霊は、キリストの霊でもあり、彼らに罪を赦す権能をお与えになりました。キリストは聖霊の力によってご自身の救いの使命を弟子たちに委託して、世の終わりまでそれを実行して行くように派遣してくださいました。


5.聖霊降臨

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録214節)

キリストが御昇天なさった後に、弟子たちは祈りの内に約束された聖霊を待ち望んで、九日目に、以上に表現された体験をしました。聖霊降臨の「激しい風」とは、聖書原文の Pneuma(プネウマ)”が、「息」、「霊」をも意味します。十二使徒は、キリストのご復活の命が自分たちの内に力強く働くことを体験しました。聖霊降臨の「炎」とは、彼らが神様の愛で満たされたことを表現します。その愛は炎のように彼らを清め、理性を照らし、導き、神様に向って成長させました。聖霊降臨の「舌」は、言葉をもって人にメッセージを伝える道具として象徴的な意味から、弟子たちに福音を宣べ伝える力、誕生した教会を聖霊の交わりに加えて、人と神様との交わりを実現する聖霊の働きを表現します。

聖霊降臨の日に十二使徒はまったく変わりました。ユダヤ人の指導者たちを恐れてドアを閉めていた彼らが、町に出て、大胆にキリストの死と復活について証しし、三千人に洗礼を授け、地上に目に見えるキリストの教会を設立したのです。これこそは、聖霊の働きによるものです。


6.教会の中で働かれる聖霊

使徒パウロは初代教会で聖霊の働きについてたくさん述べられていますが、それは以下の三つの聖書箇所で紹介されています。

神様との交わりを可能にする徳を与える聖霊

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントへの第一手紙1313節)

教会に賜物を与える聖霊

「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」

(コリントへの第一手紙12411節)

実を結ばせる聖霊

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラテヤへの手紙52223節)

したがって、聖霊は信者に信仰の恵みを与え、永遠の頂く希望を与え、神様と一つに結ばれれる愛の徳を与えます。そして聖霊は、一人ひとりに異なる賜物を与えます。人間は、その賜物を教会の中で愛を実践して行くために分かち合い、奉仕し合うことによって豊かになり、聖霊の交わりの中で皆が一つに結ばれます。このような共同体は、上述された聖書箇所の実を結ぶことができます。


結び

この講話の中で、新約聖書をもとにして聖霊に対する信仰の内容を紹介致しました。聖霊は、人間の内に神の働きを表現するので、聖書の中で聖霊のみを礼拝する箇所が少ないのです。しかし、御父と御子の御業を教会と聖会の内に実現するので、聖霊が教会で御父と御子と共に礼拝されているということを教会は宣言します。

 

次の講話は、聖霊の被造物である教会に対する信仰を紹介します。

第9講話「父と子から出る聖霊を信じます」

By Ziebura Eugeniusz

「聖書が教えるカテキズム」2016年3月の講話

前回の講話の中で信仰宣言の弟三箇条の預言者を通して語られる聖霊について話しました。この度、ニケア・コンスタンチノポールの信条の「聖霊は父と子から出て、父と子と共に礼拝され、栄光を受け(る。)という信仰内容について話すことになります。それは、「時が満ちた」と言われるキリストの時代に聖書が語る聖霊の働きになります。即ち、聖霊が御父から降り、キリストとの一致の内に地上で救いの業を実現し、復活したキリストによって使徒たちに与えられ、御昇天後にキリストが御父のもと使徒たちに遣わされたのです。それは、聖霊降臨の出来事であり、地上の教会の誕生です。

1.神の子キリストの受肉の神秘を成し遂げる聖霊

「天使(ガブリエル)は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』 マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。』」 (ルカによる福音13035節)

以上の福音箇所は、「神のお告げ」と言います。神様から遣わされた天使ガブリエルは、聖母マリアは、神様の恵みと愛に満たされて、聖霊によって神の子を身ごもったことを伝えます。そして、この出来事は、神様が王ダビデに約束してくださったこと、また、旧約の多くの預言預言が語った言葉の成就であることを証明され、信じるために提供されています。

2.聖母マリア、エリザベト訪問の時に働かれる聖霊

「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』」

(ルカによる福音14145節)

聖霊に満たされて御子を宿したマリア様は、エリザベトが子を身ごもったことを知り、奉仕しに行きます。聖母マリアが天使の挨拶を受けて聖霊に満たされたように、エリザベトは、聖母マリアの挨拶を受けて聖霊に満たされたのです。同時に、エリザベトの胎内の子、神様の摂理の中でキリストの先駆者としてこの世に生れる将来の洗礼者ヨハネも聖霊に満たされたのです。

3.洗礼を受ける時にキリストに注がれる聖霊

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(ルカによる福音3章2122節)

洗礼者ヨハネは水で洗礼を多く人々にのに授けていました。それは、キリストに出会う準備としての悔い改めの業であり、心の清めのしるしでした。ところで、洗礼者ヨハネがキリストに洗礼の授けていた時に、聖霊の働きが目撃されました。洗礼者ヨハネは、これについて次のように証しします。「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」(ヨハネによる福音13334節)こうして聖霊は、イエス様が神の子であることを証し、天国を開いて御父のお声を聞かせて、至聖なる三位一体の啓示を致しました。

キリストは、受肉の瞬間から聖霊に満たされて、初めから神の子、キリストです。主の洗礼の時、聖霊の注ぎは、一人の人間としてイエス様の生き方を変え、救い主の使命を果たすようになるに「時が満ちた」ことを目に見える表現となりました。キリストはギリシア語で「油注がれた者」(ヘブライ語でメシア)と言います。それは、主の洗礼の時の「聖霊の注ぎ」を比喩的に指す名称であり、地上の神様の代理であることを表します。

イエス様ご自身も、故郷ナザレの会堂で、イザヤの預言(611-2)が自分の内に実現したことを証しました。「『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」(ルカ41821)と。

4.キリストによって約束された聖霊

)ニコデモへの約束した聖霊

「イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。“あなたがたは新たに生まれねばならない”とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。』」

(ヨハネによる福音358章)

キリストを訪ねたファリサイ派のニコデモ、ユダヤ人の議員は、イエス様が救い主であると信じて、これからどうすればいいかと尋ねました。以上の福音箇所がありますと、キリストの答えには、水と霊による洗礼が人を新しく生まれさせるという説明がありました。そして、人の救いは、人間の力によるのではなく、神様の神秘的な救いの計画に従がっての聖霊の思うままの働きによって実現されるものであると教えてくださいました。

2)最後の晩餐の時に約束した聖霊

「(イエスは言われた。)『あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。』」

(ヨハネによる福音1415-18節)

キリストはご受難を受ける前にご自分の弟子たちとお別れに過越祭の食事をなさったときに、御自身の代りに御父から聖霊を遣わすことを約束してくださいました。ところで、聖霊を頂く条件とは、キリストを愛し、その言葉を守ることになっています。遣わされた聖霊は、弁護者(Paracletos =「共にいる方」)であるから、死を超えて永遠に私たちと一緒にいることを約束してくださいました。これに続きキリストは、「その方は、私のものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネによる福音1615節)と仰せになって、聖霊の内にご自身現存を弟子たちに残してくださることを教えてくださいました。同じ意味で、マタイによる福音によりますと、復活したキリストは、「わたしは世の終わりまで、あなたがたと主にいる」(マタイによる福音2820b節)と仰せになったのです。

3)御復活なさったキリストが弟子たちに吹きかける聖霊

「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』と。」

(ヨハネによる福音202123節)

以上の福音箇所は、復活したキリストは御自身の息吹によって弟子たちに聖霊をお与えになったことを示します。聖霊は、キリストの霊でもあり、彼らに罪を赦す権能をお与えになりました。キリストは聖霊の力によってご自身の救いの使命を弟子たちに委託して、世の終わりまでそれを実行して行くように派遣してくださいました。

5.聖霊降臨

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録214節)

キリストが御昇天なさった後に、弟子たちは祈りの内に約束された聖霊を待ち望んで、九日目に、以上に表現された体験をしました。聖霊降臨の「激しい風」とは、聖書原文の Pneuma(プネウマ)”が、「息」、「霊」をも意味します。十二使徒は、キリストのご復活の命が自分たちの内に力強く働くことを体験しました。聖霊降臨の「炎」とは、彼らが神様の愛で満たされたことを表現します。その愛は炎のように彼らを清め、理性を照らし、導き、神様に向って成長させました。聖霊降臨の「舌」は、言葉をもって人にメッセージを伝える道具として象徴的な意味から、弟子たちに福音を宣べ伝える力、誕生した教会を聖霊の交わりに加えて、人と神様との交わりを実現する聖霊の働きを表現します。

聖霊降臨の日に十二使徒はまったく変わりました。ユダヤ人の指導者たちを恐れてドアを閉めていた彼らが、町に出て、大胆にキリストの死と復活について証しし、三千人に洗礼を授け、地上に目に見えるキリストの教会を設立したのです。これこそは、聖霊の働きによるものです。

6.教会の中で働かれる聖霊

使徒パウロは初代教会で聖霊の働きについてたくさん述べられていますが、それは以下の三つの聖書箇所で紹介されています。

神様との交わりを可能にする徳を与える聖霊

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントへの第一手紙1313節)

教会に賜物を与える聖霊

「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」

(コリントへの第一手紙12411節)

実を結ばせる聖霊

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラテヤへの手紙52223節)

したがって、聖霊は信者に信仰の恵みを与え、永遠の頂く希望を与え、神様と一つに結ばれれる愛の徳を与えます。そして聖霊は、一人ひとりに異なる賜物を与えます。人間は、その賜物を教会の中で愛を実践して行くために分かち合い、奉仕し合うことによって豊かになり、聖霊の交わりの中で皆が一つに結ばれます。このような共同体は、上述された聖書箇所の実を結ぶことができます。

結び

この講話の中で、新約聖書をもとにして聖霊に対する信仰の内容を紹介致しました。聖霊は、人間の内に神の働きを表現するので、聖書の中で聖霊のみを礼拝する箇所が少ないのです。しかし、御父と御子の御業を教会と聖会の内に実現するので、聖霊が教会で御父と御子と共に礼拝されているということを教会は宣言します。

次の講話は、聖霊の被造物である教会に対する信仰を紹介します。第9講話「父と子から出る聖霊を信じます」

By Ziebura Eugeniusz

「聖書が教えるカテキズム」2016年3月の講話

前回の講話の中で信仰宣言の弟三箇条の預言者を通して語られる聖霊について話しました。この度、ニケア・コンスタンチノポールの信条の「聖霊は父と子から出て、父と子と共に礼拝され、栄光を受け(る。)という信仰内容について話すことになります。それは、「時が満ちた」と言われるキリストの時代に聖書が語る聖霊の働きになります。即ち、聖霊が御父から降り、キリストとの一致の内に地上で救いの業を実現し、復活したキリストによって使徒たちに与えられ、御昇天後にキリストが御父のもと使徒たちに遣わされたのです。それは、聖霊降臨の出来事であり、地上の教会の誕生です。

1.神の子キリストの受肉の神秘を成し遂げる聖霊

「天使(ガブリエル)は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』 マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。』」 (ルカによる福音13035節)

以上の福音箇所は、「神のお告げ」と言います。神様から遣わされた天使ガブリエルは、聖母マリアは、神様の恵みと愛に満たされて、聖霊によって神の子を身ごもったことを伝えます。そして、この出来事は、神様が王ダビデに約束してくださったこと、また、旧約の多くの預言預言が語った言葉の成就であることを証明され、信じるために提供されています。

2.聖母マリア、エリザベト訪問の時に働かれる聖霊

「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』」

(ルカによる福音14145節)

聖霊に満たされて御子を宿したマリア様は、エリザベトが子を身ごもったことを知り、奉仕しに行きます。聖母マリアが天使の挨拶を受けて聖霊に満たされたように、エリザベトは、聖母マリアの挨拶を受けて聖霊に満たされたのです。同時に、エリザベトの胎内の子、神様の摂理の中でキリストの先駆者としてこの世に生れる将来の洗礼者ヨハネも聖霊に満たされたのです。

3.洗礼を受ける時にキリストに注がれる聖霊

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(ルカによる福音3章2122節)

洗礼者ヨハネは水で洗礼を多く人々にのに授けていました。それは、キリストに出会う準備としての悔い改めの業であり、心の清めのしるしでした。ところで、洗礼者ヨハネがキリストに洗礼の授けていた時に、聖霊の働きが目撃されました。洗礼者ヨハネは、これについて次のように証しします。「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」(ヨハネによる福音13334節)こうして聖霊は、イエス様が神の子であることを証し、天国を開いて御父のお声を聞かせて、至聖なる三位一体の啓示を致しました。

キリストは、受肉の瞬間から聖霊に満たされて、初めから神の子、キリストです。主の洗礼の時、聖霊の注ぎは、一人の人間としてイエス様の生き方を変え、救い主の使命を果たすようになるに「時が満ちた」ことを目に見える表現となりました。キリストはギリシア語で「油注がれた者」(ヘブライ語でメシア)と言います。それは、主の洗礼の時の「聖霊の注ぎ」を比喩的に指す名称であり、地上の神様の代理であることを表します。

イエス様ご自身も、故郷ナザレの会堂で、イザヤの預言(611-2)が自分の内に実現したことを証しました。「『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。』 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」(ルカ41821)と。

4.キリストによって約束された聖霊

)ニコデモへの約束した聖霊

「イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。“あなたがたは新たに生まれねばならない”とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。』」

(ヨハネによる福音358章)

キリストを訪ねたファリサイ派のニコデモ、ユダヤ人の議員は、イエス様が救い主であると信じて、これからどうすればいいかと尋ねました。以上の福音箇所がありますと、キリストの答えには、水と霊による洗礼が人を新しく生まれさせるという説明がありました。そして、人の救いは、人間の力によるのではなく、神様の神秘的な救いの計画に従がっての聖霊の思うままの働きによって実現されるものであると教えてくださいました。

2)最後の晩餐の時に約束した聖霊

「(イエスは言われた。)『あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。』」

(ヨハネによる福音1415-18節)

キリストはご受難を受ける前にご自分の弟子たちとお別れに過越祭の食事をなさったときに、御自身の代りに御父から聖霊を遣わすことを約束してくださいました。ところで、聖霊を頂く条件とは、キリストを愛し、その言葉を守ることになっています。遣わされた聖霊は、弁護者(Paracletos =「共にいる方」)であるから、死を超えて永遠に私たちと一緒にいることを約束してくださいました。これに続きキリストは、「その方は、私のものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネによる福音1615節)と仰せになって、聖霊の内にご自身現存を弟子たちに残してくださることを教えてくださいました。同じ意味で、マタイによる福音によりますと、復活したキリストは、「わたしは世の終わりまで、あなたがたと主にいる」(マタイによる福音2820b節)と仰せになったのです。

3)御復活なさったキリストが弟子たちに吹きかける聖霊

「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』と。」

(ヨハネによる福音202123節)

以上の福音箇所は、復活したキリストは御自身の息吹によって弟子たちに聖霊をお与えになったことを示します。聖霊は、キリストの霊でもあり、彼らに罪を赦す権能をお与えになりました。キリストは聖霊の力によってご自身の救いの使命を弟子たちに委託して、世の終わりまでそれを実行して行くように派遣してくださいました。

5.聖霊降臨

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録214節)

キリストが御昇天なさった後に、弟子たちは祈りの内に約束された聖霊を待ち望んで、九日目に、以上に表現された体験をしました。聖霊降臨の「激しい風」とは、聖書原文の Pneuma(プネウマ)”が、「息」、「霊」をも意味します。十二使徒は、キリストのご復活の命が自分たちの内に力強く働くことを体験しました。聖霊降臨の「炎」とは、彼らが神様の愛で満たされたことを表現します。その愛は炎のように彼らを清め、理性を照らし、導き、神様に向って成長させました。聖霊降臨の「舌」は、言葉をもって人にメッセージを伝える道具として象徴的な意味から、弟子たちに福音を宣べ伝える力、誕生した教会を聖霊の交わりに加えて、人と神様との交わりを実現する聖霊の働きを表現します。

聖霊降臨の日に十二使徒はまったく変わりました。ユダヤ人の指導者たちを恐れてドアを閉めていた彼らが、町に出て、大胆にキリストの死と復活について証しし、三千人に洗礼を授け、地上に目に見えるキリストの教会を設立したのです。これこそは、聖霊の働きによるものです。

6.教会の中で働かれる聖霊

使徒パウロは初代教会で聖霊の働きについてたくさん述べられていますが、それは以下の三つの聖書箇所で紹介されています。

神様との交わりを可能にする徳を与える聖霊

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントへの第一手紙1313節)

教会に賜物を与える聖霊

「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」

(コリントへの第一手紙12411節)

実を結ばせる聖霊

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラテヤへの手紙52223節)

したがって、聖霊は信者に信仰の恵みを与え、永遠の頂く希望を与え、神様と一つに結ばれれる愛の徳を与えます。そして聖霊は、一人ひとりに異なる賜物を与えます。人間は、その賜物を教会の中で愛を実践して行くために分かち合い、奉仕し合うことによって豊かになり、聖霊の交わりの中で皆が一つに結ばれます。このような共同体は、上述された聖書箇所の実を結ぶことができます。

結び

この講話の中で、新約聖書をもとにして聖霊に対する信仰の内容を紹介致しました。聖霊は、人間の内に神の働きを表現するので、聖書の中で聖霊のみを礼拝する箇所が少ないのです。しかし、御父と御子の御業を教会と聖会の内に実現するので、聖霊が教会で御父と御子と共に礼拝されているということを教会は宣言します。

次の講話は、聖霊の被造物である教会に対する信仰を紹介します。