主日の朗読聖書 - C年 復活節 |
テーマ :聖なる都エルサレムが
第一朗読 使徒言行録15,1-2,22-29
そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。 (Act 15:22 JAS)
第二朗読:黙示録21,10-14,22-23
都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。 (Rev 21:12 JAS)
また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。 (Rev 21:14 JAS)
福音朗読:ヨハネ14,23-29
『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。 (Joh 14:28 JAS)
メッセージ - C年 復活節 |
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」ヨハ 14:27
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。」というイエスの言葉はミサが行われる度に唱えられるほど重要です。この言葉を語られる後にイエスは「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハ 14:27)という言葉を付け加えて、自分が与える平和と、一般的に考えられている平和とは違うものであると強調されました。
ある国語事典によれば、平和とは、「心配・もめごとなどが無く、なごやかな状態。戦争や災害などが無く、不安を感じないで生活ができる状態。」です。考えてみれば、そのような平和を実現するために、悪い行い、他人を悲しませ、傷付けるような行いを避けるだけで十分です。それが簡単に見えるかもしれませんが、人類はそのような平和さえもなかなか実現できないのです。歴史を見れば、誰でも分かることですが、自分の幸福だけを求めている人は、自分が弱い時、相手と争うことが自分の損失になるだろうと思う時、悪いことを諦めて、以上の意味での平和を保つように努力しますが、相手より強くなって、相手を攻めることが自分の利益になると思う時は、平和を簡単に破ります。
イエスが与えてくださる平和とは、シャローム、すなわち人間の完全な幸福の状態です。この平和を実現するために、イエスは、私たちを利己心から解放し、神と他の人々との正しい関係に導いてくださいます。正しい関係というのは、相手に悪いことをしないだけではなく、相手を尊敬すること、相手の善を求めて、そのために積極的に力を尽くすこと、すなわち相手を愛することなのです。
人々は、神と他の人々との愛によって結ばれる時だけ、すべての人々が心の中で求めている平和、しかも、永遠に続く平和が実現されるのです。この恵みを常に願い求めましょう。
主日の朗読聖書 - C年 復活節 |
ヨハネ13・31-33a,34-35
31さて、ユダが 〔晩さんの広間から〕 出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。32神が人の子によって栄光をお受けになったの であれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。33子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。 34あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35互いに愛し合うな らば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
主日の朗読聖書 - C年 復活節 |
テーマ :また私は、新しい天と新しい地とを見た (Rev 21、1 )
第一朗読:使徒言行録14,21b-27
弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。 (Act 14、22)
第二朗読:黙示録21,1-5a
「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 (Rev 21、3 )
福音朗読:ヨハネ13,31-33a.34-35
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 (Joh 13、34)
釈義 - C年 復活節 |
第一朗読:使徒言行録14,21b-27
第一朗読の言葉はパウロの第一宣教旅行と関連する。アンテオケから始まった(紀元後47年頃)第一宣教旅行(使徒13、1-14、28)の時にイエスの福音書を外国に住んでいるユダヤ人だけではなく異邦人にも述べ伝えた。ある場合(使徒13,13、43-52)は成功であって、ある場合(使徒14、1-7;19-21)は失敗であった。しかし、この宣教旅行の間に、シリア、キプロスや現在の南トルコで原初キリスト教が設立された。信者になった人々に対してパウロは二つのことをした:「弟子たちの心を強め」ることと「彼らのために教会ごとに長老たちを選 」ぶことである。それは、生まれたばかりの原初キリスト教が信仰の道を歩くことが出来るようにするために、必要なことであった。
第二朗読:黙示録21,1-5a
第二朗読の言葉は天国に関するものである。エルサレムはユダヤ教にとって最も聖なる所である。エルサレムは原初キリスト教が生まれたところでもある。このエルサレムは終わりのある場所である(黙示録21、1)。しかし、新エルサレム(天国)は神と人間がともに永遠に残る場所である(21、3-4)。それは神からいただいた最後の恵みである(21、2)。
福音朗読:ヨハネ13,31-33a.34-35
アベルとカインの時代から、人間の罪の泉は変わらない。それは利己心である。人は自分の事以上には誰も愛していない。イエスは神を愛しているので神の御旨に最後まで従った。神の御旨とは、人間を救うためのイエスの受難と復活であった。そのおかげで「神は人の子によって栄光をお受けになりました」 (ヨハ13、31)。イエスの「互いに愛し合いなさい」という命令によって詳しい説明が付け加えられた。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。イエスのような愛を与えることができる人(自分の事より隣人のことを愛することである)にのみ神の御旨を行うことが出来る。