メッセージ - C年 年間

「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」ルカ 4:18-19

福音記者聖ルカが、自分の福音書をテオフィロという人のために書き記すと伝えています。テオフィロという名は「神に愛されている者」、また「神を愛している人」を意味します。父である神はすべての人を愛していますので、この福音書は、誰か一人の人のために書かれたのではなく、すべての人のために書かれたということになります。同じことを聖書全体について言うことができます。すなわち、聖書は、父である神がいろいろな人を通じて、御自分の愛する子らのために、送って下さった手紙であるということです。

誰かが、愛する人に手紙を送るとき、まず自分の愛を表したいのではないかと思います。同じように、父である神は、聖書の言葉によって、私たち一人ひとりに対するご自分の愛を表しているのです。

また、親が自分の子どもに手紙を書くならば、その中で、いろいろな注意をしたり、アドバイスを与えたりするし、子どもが困っているならば、その子を励まし、力付けるような言葉も書くでしょう。同じように、聖書の言葉によって、父である神は、私たちを教え、導き、慰め、励ましてくださるのです。

そういう意味で聖書はどんな本よりも重要な書物ですが、その言葉は父である神が求めておられるような実を結ぶために、それを読む人には、神に対する信頼と開かれた心が必要です。なぜなら、多くの場合、神の教えは、私たちが慣れている考え方に逆らっているし、私たちの考え方の変更だけではなく、生き方の変更を要求しているからです。私たちは、聖書を読んで理解したことを実行することによってだけ、その言葉をますます深く理解することができるし、神の愛をますます強く実感し、自分が歩むべき道、つまり父である神が私に与えてくださる使命を知ることができます。さらに、暗闇や困難の時にも聖書を読み続けると、神の言葉は必ず私たちを励まし、力付けてくださるので、どんなときにも、神のことばを読み、それに従って生きることができますように祈りましょう。

 

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

ヨハネ2・1-11 (年間第2主日)


1[そのとき、] ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、 「ぶどう酒がなくなりました」と言った。4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」5し かし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。6そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置い てあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。 7イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。8イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話 役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。9世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たの か、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、10言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわった ころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」11イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その 栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 
主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ :神のしるし

第一朗読:イザヤ62,1-5

若い男が若い女をめとるように、 あなたの子らはあなたをめとり、 花婿が花嫁を喜ぶように、 あなたの神はあなたを喜ぶ。 (イザ62:5)

第二朗読:一コリント12,4-11

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。 (1コリ12:7)

福音朗読:ヨハネ2,1-11

イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 (ヨハ2:11)

 
釈義 - C年 年間

第一朗読:イザヤ62,1-5

第一朗読の言葉は第三イザヤ(イザヤ56-66)の一つの要素であると考えられている。この言葉は紀元前六世紀(520年ごろ)に書かれたと思われる。つまり、バビロニア時代に壊されたエルサレム神殿が建て直されている時期である。神に選ばれた預言者の活動は、国民を慰め、国民が熱心に国を立て直し、栄光的な将来のために希望を持って良く働けるようにすることである。

ナザレの会堂でイエスが朗読をする時、この言葉を読んだ。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」(ルカ4,18-19)。

第二朗読:一コリント12,4-11

第一コリント使徒への手紙は、さまざまなキリスト者のグループが一致をもって一つのコリント教会作ることが出来るように書かれた書物である。このさまざまなキリスト者のグループはイエスの教えに従って、互いに良い関係を作ることが出来なかった。その理由はコリントのキリスト者の間に妬みや争いがあったからである(1コリ 3、3)。一つの大きな問題は聖霊の賜物であった。この賜物がキリスト者の間で争いのもととなった。パウロによれば、すべての賜物の泉は聖霊である。すべての聖霊から貰った賜物の目的は唯一教会を作ることである。

福音朗読:ヨハネ2,1-11

ヨハネによる福音書の中で、カナ行った奇跡がイエスの最初の徴である(2,11)。この奇跡の目的は、困っている人を助けることだけではなく、自分の栄光を現すという意味もあった。これにより、弟子たちがイエスを信じ始めるのである(2,11)。神に選ばれた方は自分自身を証しできることを証明することが必要だった。この証明は驚くようなことや不思議な業や奇跡などであった。

 
メッセージ - C年 年間

 

「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」 (ヨハネ2,5)

 

ガリラヤのカナでの婚礼でキリストが最初の奇跡を行ったという福音の中でいくつかの出来事は私たちに大きなメッセージを送っていると思います。

すなわち、①結婚する花婿と花嫁がだれだったかは教えられていません。そこに弟子と共にキリストと聖母マリアがいたことが分かります。②ぶどう酒が足りなかった時に、キリストが自ら奇跡を行おうとせず、聖母マリアは無理にお願いした様子が分かります。③イエス様が助けを約束していないのに、聖母は召使たちに、イエス様の言うとおりにするように言いました。④清めに用いる水がめをいっぱいにした召使にイエスは、そこから酌んで宴会の世話役に注ぐように命じました。水だと思った召使は失礼になって自分の仕事を失う不安があってもキリストに従いました。⑤キリストが水をぶどう酒に変えた奇跡を婚礼の客と世話役に知らされず、ご自分の弟子と召使だけに分かるようにされました。⑥キリストは最後に一番いいものを残して置かれました。

 

イエス様は救い主の使命を婚礼から始めたのは、最後の晩餐の時に神様とその民を結ばれる新しい契約の前印です。いわゆる、キリストは花嫁である教会の花婿となり、神と人が愛の内に一つに結ばれる喜びを予告します。奇跡を御自分の名誉のためにならないようにとキリストは配慮なさいます。しかし、御自分を産んだ母マリアの取り次ぎを退くことは有りません。

イエス様は、聖母を未来の教会の母と取り次ぎ者に致します。聖母マリアが召使たちに、イエス様の言いつけのとおりにするようにと勧めたのは、すべての人はイエスの御心に従って行うようにお薦めとなります。召使と弟子だけがこの奇跡に関わったのは、私たちもいつも主に仕え、キリストの弟子として救いの喜びを多くの人々に告げ知らせる使命を受けていると促しています。最後の「善いぶどう酒」は、人が試練の中で精錬された後に、「教会の花婿」であるキリストの愛を味わうことができる象徴となります。御告げの時に「お言葉のとおり、この身になりますように」と仰った聖母マリアは神様の偉大な恵みに与った経験があります。

だから、聖母マリアは今も、私たちにキリストを指し示して言います。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」 と。